松浦弥太郎さん「世界を「仕事場」にするための40の基本」の中からの言葉。
本来、仕事は感動の分かち合いであり、感動をかたちにしていくものだと僕は考えています。
これはいい言葉。
この言葉は是非そのまま「仕事の定義」にしたいほど。
「仕事」というと、
お金のためにやっているとか。
どれだけ他人のために役に立ったとか。
そういうことで考えがち。
①お金のために働く。
まあ、現実問題、お金のために働いていますよね、正直。
仕方なく働いているという面が強い。
キレイごとを言いたくなるけど、これは揺るぎのない事実。
②他人のために働く。
で、そんなキレイごとを少し言ってみると、
他人のために働いているんだ、と。
仕事とは、自分がお金を稼ぐことではない。
他人の役に立つことをして、その結果自分にお金が入って来ること。
その流れを無視してはいけない。
そう考えることもできる。
定義としては間違っていない。
でも、仕事=他人の役に立つことをする。
それって、他人に軸を置きすぎていて、自分は蔑ろにしている。
そういうふうな意味に捉えられなくもない。
いくら働くことが他者のためになっても、
どこか自分も(お金以外の面で)プラスになる。
そうでないと、なかなか労働としては厳しいもの。
③感動を分かち合い、感動を形にする。
他の2つの定義と比べると、
胸にストンと落ちてくる納得感のある仕事の定義。
これだったら最高だね。
理想の形。
自分が感動したもの。
それを他人と分かち合う。
そのためには、自分が心を動かされたもの。
それの正体を突き止めて、形にして、それを他人に伝える技術を磨く。
その結果、他人の役に立つ。
そして、お金が自分に流れてくる。
仕事という、ネガティブなイメージのある言葉。
それを見事にポジティブな言葉に変換している。
その上、的確に仕事の本質を突いた表現のように思えます。
そうだよね。
「他人の役に立つ」くらいじゃダメ。
「他人を感動させる」くらい言わないと。
そのためには、まず大前提、
自分が積極的に感動していく必要があるでしょうね。
そもそも自分が感動しないと、
①感動を分かち合うこと
②感動を形にすること
そんなことはできないので。
つまり、インプットしまくって、アウトプットしまくる。
それが、感動の分かち合いであり、仕事をするということかもしれない。
