富はどれだけ持っているかではなくて、
どれだけ与えたかではかられる。
たしかに、この考え方であれば、
「金持ち=豊か」の構図が崩れるね。
また、富を持っていなくても、
他人に与えることで豊かになれる。
「アメリカインディアン聖なる言葉」という本の中の言葉。
インディアンの富は持っていることではなく、与えるものではかられる。
この説明だったら、「豊さ」とか「富」に対して納得できるかも。
今までだったら、
富はどれだけ持っているかではかられていた。
でも、それだと富の説明・特徴としては不十分だった。
僕は、海外サッカーのファン。
海外のサッカークラブのオーナーとかを見てきた。
そういう金持ちを見てきた。
で、そういう金持ちの人たちって、
クラブをお金でしか見ていないんだよね。
クラブを損得勘定でしか見ていない。
だから、クラブを愛するファンといつまで経っても仲良くできない。
金持ちオーナーは、たしかに富を持っているかもしれない。
で、そういう人たちが次に何をするかって、
さらに富を増やそうとすること。
自分の富を増やすことを目的にしている。
でも、それだと今回の「与えることの富」の定義に反する。
「自分の富を増やす」ではなくて、
「他人を富ませる」ことをしなくてはいけない。
僕は今までサッカークラブのオーニーに対してモヤモヤしていた。
でも、富を得ていることは資本主義の世界においては誉れ高いことのはず。
なんだけど、
そういう資本主義における富の定義とは違った考え方がある。
そのことに気づけた。
「富は与えるものではかられる。」
この考え方の方が、本当の富、
金の総量ではなく、心の富の総量を重視した考え方があること。
それを説明した考え方に出会うことができた気がする。
目からウロコというか、
世界が180度違って見える体験でしたね。
