人には「肉体の年齢」と「たましいの年齢」がある
なるほど!
だから、自分より年上でも未熟っぽい人がいるのか
長年の疑問が晴れた
もっと早くこの考え方に出会いたかった!
江原 啓之さんの著書「自分に奇跡を起こす 江原啓之100の言葉」からの言葉
人には肉体の年齢と、たましいの年齢があります
こんなふうに考えたことはなかった
魂には年齢はないものだと思ってた
というより、みんな一斉に「よーい、ドン!」でできたのだと思ってた
だから、みんな魂のレベルは同じなのだと
もしかしたら、みんな一斉にスタートしたのかもしれない
ただ、「魂を磨く」こと
これには個人差があるのかもしれない
それがここで言う「魂の年齢」なのかな?
別に長く生きたから偉いというわけではない
どれだけものを吸収して、
自分なりに貢献して、
魂を磨いてきたか
それによって魂の年齢が計られる?
他人を「年齢」や「価値観」で見てきた
他人と分かり合えないのは、
今まで性格とか価値観で見てきたからだと思ってた
ただ、価値観が違うから他人と分かり合えないというより、
もはやもはや魂の年齢レベルで違うのだと
だから分かり合えない
魂の年齢が違えば違うその差異の分だけ分かり合えない
なかなか身もふたもない話(笑)
魂の年齢=器の大きさ?
人のことについて言うとき、
よく「器が大きい・小さい」とか言うことがある
それってよくわからなかった
人にはもともと持っているポテンシャルが違う
だから、生まれたときから器の大小が決まってるのか?
それとも、人間は生きていく上で器を大きくすることができるのか?
ただ、今回の言葉に当てはめてみるとこうなる
器の大きさとは、魂の年齢に比例する
転生するごとに「人間としての器」が大きくなるのであれば、
それだけその人間が人生の中で吸収できるものが増えるということ
人として許容できるものが多くなるということ
おわり
人には肉体の年齢と、たましいの年齢がある
たしかに、
これだと今までモヤモヤしていたのが晴れる
これからは人を肉体の年齢ではなく、
魂の年齢で見てみることにする
と言うと問題なので、
そういう考え方も持ったうえで他人と接していきたいですね