たゆまぬ努力は大事
ただ、それだけでは足りないらしい
「トリッキーな手段」
そういう戦法も一方で必要だとのこと。
「トリッキーな手段」とは何か。
それは、自分の発信を他人視点で見ることかもしれない。
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ホリエモン著「好きなことだけで生きていく。」の中で出てきたのがこの言葉。
「たゆまぬ努力」と「トリッキーな手段」
これを並列に並べて紹介している。
「トリッキーな努力」とは??
この情報があふれている世のなか。
なかなか他人に見つけてもらうことは難しい。
「真面目にやっていれば、いつかは報われる。」
といのは、少しズレている。
なぜなら、「真面目にやる」といのは自分にとっての都合。
ただ、そんな真面目にやった自分のアウトプットを他人に見てほしいのであれば、工夫する必要がある。
- 自分の発信が、他人の目から見てどう見えているのか?
- 自分の発信が、他人の発信の中に紛れているときにどう見えるのか?
こうやって「自分の発信」を「第三者目線」から見てみる必要がある。
これ結構むずかしい。
特に、視野が狭くなっているときは、なかなか気づけないもの。
ぼくも自分の発信に自信を持っていた。
だけど、他者からするとそうでもないらしい。
そんな自分の発信を改めて見返したら、たしかに魅力的に見えない。
実際には魅力はある、かもしれない。
でも、それはきちんと再構成して見栄えのいいものにしてあげなくてはいけない。
それを機に反省しました。
見せ方を工夫する。
これは情報を発信する上で、もしかしたら自分の独自の意見を持つこと以上に重要なことかもしれない。
