「社会の歯車になる」
この言葉にはネガティブなイメージがある
ただ、この世は一人では生きていけない
どのような形にしろ、社会の一員として生きていく必要がある
であれば、
「社会の歯車として生きる」
その方が人によってはラクな場合もあるのかもしれない
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松浦弥太郎さん著「もし僕がいま25歳なら、こんな50のやりたいことがある。」からの言葉
社会の歯車になる
この本の50のやりたいこと
その一番最初にこの「社会の歯車になる」が来ていることが意外
でも、たしかに
歯車のひとつとして生きる方がラクな場合もある
誰もが自分の好きなことだったり、得意なことばかりで生きていけるわけじゃない
まあ、やればできるのかもしれないけど、それ以外で考えることだったりやらなくてはいけないことが多すぎる
それだったらいっそ社会の歯車になっている
その方が生き方としてはラクなのかもしれない
まあ、最強の生き方としては、両方の場所を持っていることかも
- 「歯車として生きる生き方」と
- 「自分一人で立ち回る環境」と
そんなハイブリッドな生き方が理想なのかな
それぞれの利点を生かしながらリスクマネジメントもできて
そういう意味では、まずは社会の歯車の一員になって「型」を経験して、
そのあとに色々食指を伸ばしていく「型破り」をできるといいのかもしれない