江國香織さん著「東京タワー」はとてもお気に入りの作品です。
たぶん同著者さんの作品の中でも、付箋の数が半端ない。
そうやって読み返していたわけですが。
やっぱりいい。
描写が超具体的で、小説の中の光景が目に浮かんでくる。
時間が経てば経つほど時代感も出てくる。
時が経てば経つほど、もっとこの作品が好きになってる気がする。
こういうのを思い出補正というのだろうね。
そんな中でけっこう抽象的というか、分かりやすい名言になりそうな言葉があった。
「意志」と「努力」と「方向性」の関係性について書かれていた。
意志や努力は、発揮する方向性が決まってから発揮されるべきものだ。
ちなみに、これは耕二の言葉。
この言葉はどう見るべきか。
「発揮する方向性」というのは自分が価値を発揮できる方向かな。
例えば、好きなこと。
好きとはイコール自然にできること。
そこに意志や努力を集中させるとさっさと進む。
スイスイ進む、的な?
でも、じゃあ方向がまだ分からないときはどうすればいいのか。
それまでは意志とか努力ということをできるだけしないほうがいいということなのか。
足が自然に向いた方向になんとなく踏み出してヨロヨロと歩いてみる。
ある方向に歩いていると思ったら、次の瞬間にはまた別の方向に歩く。
フラフラと千鳥足のような足取り。
そうやって方向性を探す。
で、一度「これかもしれないな」と思った方向が決まったら、そのときになって初めて意志や努力を費やすべきだということかな。
ふぅ。
ぼくもまだ方向性が定まってない。
でも、そろそろ時間切れ。
無理やりにでも方向を決めて歩いていかないと。
自分のすぐ後ろから迫って来る闇に呑み込まれそうで怖い。
この文庫本の表紙の感じが好きすぎる。
なんでかはよく分かってないんですが。

