真面目に生きていればいつか報われる。
これは個人的にとても信じたい言葉。
だけど、実際にはそうとは言い切れない。
時代が劇的に動いている今はそうとは言い切れない。
「真面目」という言葉の再定義
ここで考えたいのは「真面目」という言葉。
真面目という言葉を再定義したい。
いや、再定義というよりは、同じような言葉と区別したい。
「真面目」と「ロボット」の違いを考える。
AIやロボット技術が台頭してきた現代。
人間はただ真面目というだけではたぶん生きていけない。
すぐにロボットに置き換えられる。
だから、真面目ということは良いことだけど。
ロボットにできないようなことを続けていかなくてはいけないと思う。
真面目な人vsロボット「スキルアップ」
真面目な人がスキルアップをしようと思うとき。
それは単に「何かをできるようになる」だとか「早くできるようになる」とかでは、すぐにロボットに置き換えられてしまう。
そうではなく、人間にとって重要でロボットができないことを中心にしなくてはいけない。
たとえば、「感動」。
人間にとっては感動は重要。
そして、ロボットは感動をまだ生み出すことができないとする。
そう仮定するなら、感動を中心としたスキルアップを目指すべき。
そうやって、「真面目」と「ロボット」の違いを常に考える必要があると思います。
おわりに
真面目に生きていればいつか報われる。
それは真面目の意味をどうとらえるかにもよる。
真面目を「言われたことができる」「継続してやる」と捉えると真面目だけでは生きていけない。
一方で、真面目を「感動を中心に考える」「人に寄り添う」「この世界の問題解決に努める」と捉えると真面目として生きていける。
そうやって真面目とロボットの違いに常に意識を向ける必要があるのではないか、と思いました。
ぼくはあまり真面目じゃない。
だから、真面目な人が羨ましいとは思いますけどね。

