努力できることも才能。
最近この言葉をいろいろなところで見かける。
この言葉は、半分正しくて半分間違っているように思える。
好きなことに「努力」は使わない、嫌いなことに「努力」を使う
人が同じことをしている。
だけど、同じことをしているからといって、全員が同じように感じているとは限らない。
大きく分けるとこうではないでしょうか。
- 好きなことをしているときは「努力していない」と感じる。
- 嫌いなことをしているときは「努力している」と感じる。
人によって好き嫌い、得意不得意がある。
そうやって他人と比べて「あの人は才能があるから努力しなくてもできてズルイ」とかと言う。
他人の文句を言う前に、じゃあ自分ができる他人にはできないものを探せばいいのではないか。
努力を違う言葉で表現
じゃあ、自分は何をしたらいいのか?
どんなことを仕事にしたらいいのか?
それは自分からしたら努力しなくてもいいこと。
そして、他人から見たら努力しているように見えること。
- 好きなことをする。
- 工夫する。
- 試しにやってみる。
- こうやったらどうなるのか?という好奇心。
- 自然にできてしまう。
- 無意識にやってしまう。
- 相手の力になりたいと思いながら行動する。
- 新しい考え方・新しい視点の下でやってみたら努力じゃなくなった。
そうやって「努力」という言葉を違うものに置き換えて行動できるもの。
それを探せばいいのではないでしょうか。
おわりに
要は、「努力」という言葉の呪い。
努力にはどこかしらネガティブな部分というか。
自分にとって負のエネルギーが含まれているように思える。
であれば、自分にとって「自然」「得意」「好き」「無意識にできる」「考え方を変える」。
みたいなふうにしていかに「努力」をしないかに限ると思う。
ぼくも努力はしたくない。
ブログを書くのも最初は努力が必要だったけど。
今は「楽しい」だったり。
「自分が何を思っているか気づける」だったり。
「自分の文章が自分をどこに連れて行ってくれるかワクワクする」。
みたいなことのほうが勝っているので、ブログを書くのが楽しかったりしますね。


