何かの記事をよんでいたときに見かけた言葉。
「努力の才能」
最近こういう言葉をよく聞くようになった。
「努力するためにはそもそも才能がいる。」
みたいな前提を元に発信されている言葉。
嫌いなことをするためには努力が必要
「努力をしたくない」
その言葉の裏には、そのものがキライだからという心理がある。
好きなことをするためには努力がいらない
一方で、好きなことをしている間は努力を努力を思っていない。
自分では努力をしていないつもりでも、他人から見たら努力に見える。
そういうものを自覚できるかによって、今後の人生の生きやすさに直結するはず。
自分の好きなことをする=努力なしに生きていける
自分の好きを自覚する。
そして、好きなものの量を増やしていく。
そうすれば、おのずと努力なしにグイグイ進んでいける人生になるのではないでしょうか。
何事も最初は努力やストレスは必要
好きなものを見つけまくる。
そのためにはいろいろなものに手を出してみる必要がある。
その際、何を始めるにしても最初だけは努力は必要。
ある程度ガマンやストレスが必要。
だけど、そうやって最初のハードルを乗り越えたときに、自分の好きやキライの感性を磨くことができるのではないでしょうか。
おわりに
「努力の才能」という言葉。
最初はなにごともストレスや辛抱がつきまとう。
それは当たり前。
だからこそ「努力なしで才能を磨けるもの」つまり「好き」を見つけていくとラクに人生を歩んでいるのかもしれません。
そうすればたしかに努力なしに生きていける。
つまり、勝ち組みたいなもの。
さっさと自分の才能を見つけて才能を磨くことに集中したいものですね。
