自分に価値をつけたい。
他人と差別化して。
自分だけの仕事をつくる。
それって理想的な働き方。
ただ、そんな価値ってどうやったら手に入るの?
そんなことをなんとなくぼや~っと思っていたとき。
こんな言葉に出会いました。
自分に価値をつけるためには、何かを犠牲にしなくてはいけない。
なるほど?
分かったような、分からないような?
これってどういう意味か?
生物が生きていく上で「価値」は本来不要?
そもそも「価値」って動物の中でも人間だけが必要としているものだよね。
動物にとって価値とか価値あるものやお金や金(きん)は要らない。
生物が生きていく上で価値なんて本当は必要ない。
ただ、今、人という生物がこの世界で生きていくためには価値は必要。
人の価値は、「時間」「他人にないもの」「得意」「才能」「スキル」などがある。
価値を手に入れるのは不自然なこと?
自分に価値をつける。
それって、動物的に考えたら不自然なことなのかもしれない。
だって、それなくして本来は生きていける。
ただし、それは同時に大事なことかもしれない。
人類全体を大きな一人のヒトと考えたとき。
そのヒトを構成するぼくたち一人ひとりはじゃあ何をすべきか?
それは自分の得意を人類全体のために使うこと。
不自然な「価値」を手に入れるためには、何かを犠牲にしなくてはいけない?
価値とは、不自然なもの。
人間が勝手につくりだしたもの。
それを手に入れるためには、自然な考え方をしていたらダメということにならないかな?
不自然に、とまではいかないにしても。
普通の人とは違う考え方をしなくては、他人と違った価値を提供することはできない。
そうやって人とは違った考え方を手に入れるためには、人と違うことをしなくてはいけない。
普通の人の生活、普通の人との関係。
そういったものを犠牲にしなくてはいけない。
そして、自分だけの価値を築き上げていかなくてはいけない。
おわりに
ということで、価値に関する名言から、価値について考えてみたということでした。
まあ、誰だって最初は価値がない存在だから。
時間を提供して人の役に立つことが求められるのかもしれないけど。
そのときは「時間」を犠牲にしていた。
それがイヤになった。
じゃあ、今度は何を犠牲にすることで、自分に新たな価値をつけるのかということが問題になりそう。
何を犠牲にして、どんな価値をつけるか。
考えなくちゃいけないことかもしれないですねえ。


