「祈る」
自分が何を信じているか。
それによって「祈り」の意味が違ってくるんだろうけど。
無宗教の自分にはまったく関係ないものだと思ってた。
「別に自分には必要ない」
「信じている神様がいない自分には無意味な行為」
そんなふうに思っていた。
「時間の無駄」
そこまで思っていた節があった。
ただ、
「祈る」ってもしかしたら有意義な時間かもしれない!
そんなふうに思った瞬間が唐突にやってきました。
「祈る」という言葉の言い換え・再定義
「祈る」という行為の意味を考えてみました。
とりえあずメモ帳にメモった順番で箇条書きで挙げてみる。
- 神に思いを馳せる。
- 願う。
- 交信。
- 自分より大きなものの存在を感じる。
- 自分を神視点から見る。(客観視)
- 感謝する。
- 時間の流れを感じる。
- 1人になる時間。
- 深呼吸・呼吸を整える時間。
- 誰かに思いを馳せる。
自分を客観視するのに祈りは最適?
その中でも自分にとっていちばん有意義に思えたのが「客観視」ですかね。
客観視できる人は優秀。
自分を他の人の視点から見ることができる。
そうするのに祈りは向いている気がした。
目を閉じて、
深呼吸して、
今の自分の状況を真上から見ているようなイメージをする。
そうすることで、かんたんに自分を客観視することができるのだと気づかせてもらった。
「祈り」は見た目じゃなくて中身
今までは祈りとは無縁の生活を送っていた。
祈るという行為自体は知っていた。
だけど、その意味は分かっていなかった。
祈る人を見ていると、毎日同じ動作をしているだけのように見えた。
ルーティーン、作業のように見えていた。
だけど、実際は違うんだね。
たしかに動作は同じなのかもしれない。
ただ、人生のどこにいるかで何を考えているかは違う。
毎回同じ動作を繰り返すことで、神との交信を図る行為として自分の体に沁み込ませている。
そこに込められる思いは毎回違う。
なるほど?
祈りは奥が深い!
おわりに
ということで、祈りへのイメージが劇的に変わったということでした。
祈りってスピリチュアルなもので自分とは関係のないものだと思ってた。
時間の無駄だと思ってた。
だけど、祈りのメリットがたくさんあるのだと気づいてからは、まったくイメージが変わりました。
これからは積極的に祈る時間を取っていこうと思いました。

