「癒しがほしいのに、癒されない。」
これは多くの人が抱えている悩みじゃないでしょうか。
体をリフレッシュするのはかんたん。
- 寝る。
- マッサージを受ける。
- 整体。
そうすれば比較的かんたんに疲れが取れる。
というか、疲れを取る方法が分かりやすい。
だけど、心はかんたんには満たされない。
なんでなのか?
「癒し」についてのカン違い
そもそも心を癒すって何だろう?
心が満たされるってどういうことか?
ぼくもこれまで心の癒やしについて分からなかった。
というか、分かったつもりになっていたんですよね。
癒しとは、自分の外のものから自分の内にやってくるものだと思ってた。
- 好きな音楽を聴く。
- 好きな動画を見る。
- 好きな映画を見る。
そうすることで得られるものだと思っていた。
それらをすることによって、心は多少は癒される。
だけど、心が満タンまで満たされることはない。
というか、そうやって中途半端に満たされることが実は問題なんだと思う。
中途半端に満たされるから、それを続けていけば満タンまで心を満たされると思ってしまう。
本当の癒しとは?
でも、あるとき気づいたんですよね。
本当の癒やしというのは、
自分の内側から外側に働きかけたときに生ずるものなんじゃないか。
- 誰かを応援する。
- 誰かの役に立つ。
- 趣味に打ち込む。
- あいさつをする。
心が満たされるって、そういうときじゃないですか?
人の役に立つのは「自分のため」?
「人の役に立ちましょう」
そういう利他的な精神を、どこかうがった見方をしていたんですよね。
はいはい、キレイごとでしょ。
人間という生き物を過剰に美化したものでしょ。
そう思っていた節があった。(酷い笑)
だけど、そうやって他人に働きかける。
それはもちろん相手の役に立つこともできるけど。
利他的に行動する最大のメリットは自分の心が満たされることじゃないでしょうか。
おわりに
ということで、なんで何も自分を癒やしてくれないのか?ということでした。
そもそも癒しをカン違いしていた。
癒しとは自分の外から自分の内へ取り入れることで達成できるものだと思ってたけど。
実は真逆で、自分の内から外へ働きかけたときに生ずるものなのではないか?ということでした。
受動的ではなく、能動的になることで、癒される。
この考え方は無かった。
自分の中ではライフハックだった。
「人から感謝される」ことで心が満たされると言うけど。
実は自分が感謝されるようなことを人にしてあげた。
それだけで実は心はもう半分は満たされているのかもね。

