コミュ障が言葉の持つ力でつかむ黄金人生(ゴールデンライフ)

言葉によって救われた。そういう言葉を紹介していきたいです。(※本サイトはアフィリエイトを使用しています)

「ゴミの山を宝の山に。」誰でも自分に価値をつけることができる、って信じたい。

 

ぼくは言葉の言い換えが好きです。

ある言葉を別の言葉で定義すること。

 

 

たとえば、

  • 自然体=努力0
  • 好きなこと=やる気0でもやること
  • 得意なこと=無意識にやってること
  • 夢を持っていない=何でもできる
  • 人間=歩く無限の潜在能力

 

 

で、今回は「ゴミの山」と「宝の山」について。

この2つの関係性について、もう明白だと思いますがあえて定義します。

 

 

ゴミの山は、宝の山。

 

 

誰でも自分に価値をつけることができると思う。

 

 

ゴミはちょっとひどいかもしれないけど、

自分の中の価値が無さそうなもの。

それを「組み合わせる」なり「ストーリーで語る」なりしたら化ける。

 

 

※※※

 

 

①この世に無駄なものはない。人間が無駄だと思っているだけで。

 

この世に無駄なものはない。

だって、無駄だったらそもそも存在していないじゃん、という考え方。

 

 

無駄だと思っても人間が短気的にそう思っているに過ぎないのでは?

 

 

 

②価値をつけるのがあなたの仕事

 

自分が好きなもので、他人が価値を感じていないもの。

それって自分に価値をつけることができる願ってもないチャンス。

 

 

あなたの「奇妙さ」「偏愛」「オタクっぽさ」。

それが見方によっては宝の山に化ける。

 

 

というか、人間の仕事ってそもそもそういうものなんじゃ?

人間だけがものに価値をつける。

それに倣って「自分の好き」に価値を付けるだけ。

 

 

 

③新しいゴミの山を探す旅。

 

「自分の中には宝に化けるゴミの山が眠ってる。

他人がその価値に気づいていないだけ。」

そういう考え方もいい。

 

 

ただ、自分の中にすでにあるものだけに固執するのはもったいない場合もある。

 

 

「世界にはもう面白いと思うものはない」

ぼくもそう思ってしまいがちだけど。

でも、ぼくがゴミの山だと思っている外の世界にも、

もしかしたら宝の山が眠っているかもしれない。

そんなものを探す旅。

少なくともそうやって外の世界に興味を持って生きていきたいな、と思った。

 

 

 

おわりに

 

ということで、「ゴミの山を宝の山に。」誰でも自分に価値をつけることができるって信じたい、ということでした。

 

 

自分が偏愛しているものは、他の誰かの価値になるはずだって思っているんだけど。

なぜかそうでもないらしい。

なぜか?

ニッチすぎるからか?

でも、そういうものの魅力を発信していくこと。

ゴミの山を宝の山にするためには最低限必要なこと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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