人を汚く思ってしまう。
そういうことが一度はあるはず。
その理由について出口日出麿さんの言葉。
人を汚く思うのは、自分が汚いからだ。
これは出口日出麿さん著「生きがいの創造」からの言葉。
まあ、これはその通りなのかも。
ただ、「向こうが自分を汚く思っている」。
そうしたらどうするべきなのか。
って考えちゃうんですよね。
ああ、それが自分が汚いってことか?
※※※
①他人の短所に注目してしまう。
短期的な付き合いだったらいい。
その人の良いところがあるのかもしれない。
ただ、長く付き合っていくと、人の短所が目に入りがちですよね。
家族がいい例。
それでも付き合っていかなくてはいけない。
②他人の長所に注目すべき。
その解決策は、ひたすら相手の長所に注目する。
実際はどうか知らないけど。
盲目的になるくらい相手の長所を見ていればいいのかな。
③向こうがこちらの短所に注目していたらどうする?
問題は、向こうがこちらの短所に注目していた場合にどうするか?という話。
それはこちらの気のせいの場合もある。
その場合は、こちらの心が汚いのかも。
ただ、気のせいじゃなかったら。
- それでも相手を受容すべきなのか?
- 器の大きさが試されているのか?
- 相手と同じ態度を取っていたら、自分も相手と同じレベルに落ちてしまうから?
④公約数vs公倍数vs関わらない。
人間関係には2種類あると思っていた。
公約数は、2人の人間関係の妥協点。
つまり、分かり合えるところだけ分かり合うみたいなもの。
それぞれが関わらないほうがいいまである。
公倍数は、2人の関係性が関わることで倍増する。
お互いに良い影響を与え合って、お互いを高め合う。
理想の人間関係と言える。
この2種類だと思っていたんですが。
「関わらない」
「逃げる」
これも立派な個人を活かす上での戦略だと思う。
だけど、相手を受容できる人間性を持てたなら、化ける可能性があるかもしれない。
おわりに
ということで、「人を汚く思ってしまう」理由by出口日出麿さんでした。
「人を汚く思うのは、自分が汚いからだ。」
そりゃ自分だって相手を汚く思いたくない。
でも、向こうから汚いものと見られたら。
ぼくだったら心を閉ざしちゃうなあ、ということでした。
相手を受け入れてしまえるだけの人間性、器、ものの見方。
そういうものをさっさと手に入れたいな、と思いました。


