「自分には何の才能があるのか?」
それって誰もが気になることですよね。
でも、思うのは、仮に才能に目覚めたとして、それを自分で気づくことができるのか?
「才能がある=自分では気づかないほどの能力を発揮している」ということにならないかな。
つまり、自分に才能があるかないかを判断するのは他人であって。
その他人から教えてもらう、あるいは、自分が他人と比べて才能があると自覚することだ、と思いました。
でも、ぼくはぼっち。
ぼっちだと才能に気づきにくそう。
そんなぼっちなぼくでも自分の才能に気づく指標はにないかなあ?と思っていた。
そんなときにこの言葉に出会いました。
厳しい言い方になるが「頑張っている」と認識してしまっている時点で、それについては才能がないということた。
これは千田琢哉さん著「稼ぐ男の身のまわり」からの言葉。
なるほど?
これは厳しいことを言っているようだけど。
逆に言うなら、これだったら自分一人でも自分の才能に気づけるかも。
①才能があるかないかの指標。
すでにやっていることについて「自分は頑張っている」。
そう思った時点で才能はない。
なるほど。
- 日本語が話せる。
- 箸が使える。
- 自転車に乗れる。
これらはまったく意識してなくてもできること。
これは才能レベルとしては低いかもしれないけど。
要は、これらができているときの感覚ってことだよね。
つまり、自覚を持ちにくい。
②「やりがいがある」「達成感がある」=才能がない?
- やりがいがある。
- 達成感がある。
これって仕事じゃよく聞くこと。
でも、言い換えると、頑張っている感があるということ。
つまり、才能があるわけじゃない。
仕事として報酬があるから言いように聞こえているけど。
逆に報酬がなかったとしたら、やりがいや達成感はかんたんに苦痛になってしまいそう。
③「才能があるもの」をやっているときに感じるもの。
- 楽しい。
- 無我夢中。
- 自分にとって自然体。
こういう状態にいかに自分を持っていくことができるか。
④そうは言っても、才能が開花するまでには努力も必要?
ぼくは「才能=潜在能力」だと思ってる。
で、潜在能力を引き出すためにはエネルギーが必要。
- 自分の努力だったり、
- 他者から引っ張り上げてもらったり、
- 外の世界への関心だったり。
- 無我だったり。
その中でも努力って必要だと思う。
何を始めるにしたって最初は難しい。
赤ちゃんが日本語を放したり、箸を使う、自転車に乗る。
それまでに試行錯誤をくり返していることを思い出せば、それも当然。
まあ、努力を努力と思わない。
それも一種の才能?
おわりに
ということで、「才能があるかないかの指標」って?ft.千田琢哉さんでした。
頑張っていると思っている=才能がない。
逆に言うと、一人であっても才能のあるなしは判断できるということ。
そして、自分の才能を見つけるためには、いろいろ試さなくちゃいけないってことですね。


