「コミュニケーションの極意とは?」
それが気になってしょうがない。
ぼくみたいなコミュ障からすると。
こんな言葉がありました。
コミュニケーションとは、さらけ出すこと
これは前田祐二さん著「人生の勝算」からの言葉。
なるほど、たしかにそう。
ただ、さらけ出すってめちゃくちゃエネルギーを使うことですよね。
①さらけ出す=自分の話をすればいいわけじゃない。
「自分をさらけ出せ!」
そう言われたからって、自分のことをたくさんしゃべればいいというわけじゃない。
ということは、ぼくでもなんとなく分かる。
それで円滑なコミュニケーションが取れるはずもない。
じゃあ、さらけ出すって何か?
それは、
- 自分の弱さだったり。
- 自分の失敗談だったり。
- 正直さであったり。
そういうことなのかなあ?
まあ、もちろん、相手に怒られない程度の正直さ。
②でも、さらけ出すって疲れそう。
「さらけ出す」
これがコミュニケーションに良いのはなんとなくわかった。
でも、さらけ出すって、すごく疲れるよね。
さらけ出した結果、相手も気を許して、また会話が発生する。
そうすると、ずっと会話が続いていく。
会話をずっとするって疲れる。
何?
コミュニケーションって必要なことさえ伝わればいいんじゃないの?
それはぼくが思うコミュニケーションの定義であって。
そうではない人もいるらしい。
ああ、根本的に違うんだな。
おわりに
ということで、「コミュニケーション=さらけ出すこと。ft.前田祐二さん」でした。
さらけ出す。
それはとてもエネルギーを使うことのように思える。
ぼくには難しいかな。
人間関係は出る限り省エネで行きたい。
ただ、要所要所では「さらけ出す」。
この必殺技が出せるように意識はしておきたいな、と思いました。


