「経験しろ!」
そういうアドバイスをそこかしこで見かける。
なるほど経験ね。
たしかにそれはそう。
で、具体的にはどういうこと?
「経験しろ」だとアドバイスとしては抽象的すぎる。
だけど、結局どこでも「経験しろ」としか言ってない。
なんでか?
それはアドバイスをしている人も分かってないから?
アドバイスしている人も具体的なアドバイスをすると責任になっちゃうから?
それなのに「経験しろ」というアドバイスをするのもどうなのか。
そうやってモヤモヤしていたところにこんな言葉に出会いました。
そもそも経験とは、人間が物やさまざまな出来事と出会うことによって、相互に交流していることを意味していた。ところが現代社会においてはすべてが出来合いの既製品であり、「経験」する余地は乏しくなったといえる。
これは原田多加司さん著「職人暮らし」からの言葉。
ああ、納得。
「出来合いの既製品」というのが非常に分かりやすい。
つまり、本物を経験できるところがそもそも少ないみたいな解釈。
あれ、もう解決しちゃった。
でも、とりあえずぼくなりに現代における経験を考えたい。
①本を読む。
本を読む。
これが経験としては手っ取り早くて有効だと思ってた。
ただ、それだけじゃダメだと誰もが言っている。
つまり、インプットだけじゃなくアウトプットしろってことかな。
②1つのことを長く続ける。
自分の軸を1つ持っていると、それを軸にいろいろと経験できる。
- 1つの仕事。
- 1つの趣味。
- 1つの習慣。
それも経験?
③新しいことに挑戦。
これも経験ですよね。
人生経験。
④いろいろな人と話す。
これも経験なんだろうけど。
ぼくの場合は人と話すのは苦手。
本を読んでいる方が10倍有意義な時間。
⑤自然に帰る。
今の時代は「既製品の経験」しかできない。
であれば、根源的な自然に積極的に帰るべき?
おわりに
ということで、「「経験しろ!」ってアドバイスが意味不明。」ということでした。
つまり、インプット+アウトプット+自然に帰る(根源)。
それがバランスのいい「経験」ということなのかな。
でも、紹介した著書にあった言葉。
「今は本物の経験をできない」
その言葉がやけに心に響いた気がしましたね。
今は「出来合いの既製品」の経験しかできない。
これは自分なりに考えて経験していきたい、と思いました。


