「自分の才能が知りたい」
誰もが思っていること。
それさえ分かれば人生勝ったようなもの。
だけど、ほとんどの人は自分の才能を分かっていないよう。
ぼくも含めて。
そんなときにこの言葉に出会いました。
才能の有無を考えるのは必死に学んでから
これは「ビジネスに役立つ先人たちの名言集」からの今川了俊さんの言葉の解説の文言。
ああ、そうか。
才能ってある日突然パンパカカーンと溢れ出るものじゃないらしい。
①才能の開花には、最低限の努力が必要?
才能なんて努力なしに開花するものだと思ってた。
努力をしなくていい。
それが才能なんじゃないの?
ただ、そうではないらしい。
最低限の努力や勉強が必要なよう。
②自分の中の才能を探すより、自分の外に働きかける方がいい?
自分の才能を探す。
それは「自分」という内側へ向かっている行為。
だけど、自分のことを理解するのは自分の外側にあるものに働きかけたときじゃないでしょうか?
自分にないものが外側にあったり。
逆に、外にないものが自分の中にあったり。
後者を「才能」と言うのかもしれない。
③「才能=潜在能力」だとしたら量をこなすのが近道?
「才能」と「潜在能力」。
それがイコールの関係にあるかは分からない。
ただ、人間だったら誰でもが潜在能力を持っているとぼくは思ってる。
で、潜在能力を引き出すのであれば、量をこなすのがいちばんいい?
というようなことを以前に書きました。
ただ、潜在能力と才能がまったく一緒とは限らないかもしれないのがもどかしいところ。
おわりに
ということで、「才能のあり無しを考えるタイミングがある?」でした。
才能のあるなしを考えるのは、ある程度勉強や努力をしてから考えるべきだということでした。
まあ、「努力」という言葉も今では嫌われている言葉のよう。
「努力をするのも才能だ」らしいので。
でも、「努力」を「工夫」「数をこなせるもの」「試行錯誤」。
そういうふうに置き換えてみていろいろ試してみるのがいいのかもなあ、と思いました。


