コミュ障な人に、提案がある。
「コミュ力を頑張るよりも、別の表現方法を磨いたほうがいいのでは?」と思うんですよね。
①相手に自分の言葉が伝わると安心する。
自分の言っていることが相手に伝わる。
そうすると嬉しいですよね。
まあ、コミュ強の人はなんとも思わないかもしれない。
今さら意識していないかもしれない。
だけど、たとえば、外国人に英語が伝わるとちょっと嬉しいですよね?
ああいう感じです。
②コミュ障は、相手に自分の言葉が伝わらないから焦る。
一方で、コミュ障は相手に言葉が伝わらない。
会話のテンポが悪い。
なんか頭がうまく働かない。
頭で考えていることと話していることが違ったりする。
それで絶望した。
日本語という世界有数の難しい言語を理解はできるものの、会話がうまくいかない。
そこで二択を迫られます。
- 会話を磨くか。
- その他の表現方法を磨くか。
ある意味、究極の二択です。
③コミュ障のぼくは、焦って、開き直った。
ぼくは人とのコミュニケーションが苦手です。
なんか知らないけど、嫌だ。
できる限り人と関わりたくない。
だから、髪の毛だって自分で切っているし。
ずっと本ばかり読んでいる。
それでいいと思っていたんですが。
さすがに人と交流ができないのはまずいと思った。
なので、ぼくの場合は「書く」ことに逃げ込んだ。
せめて他人よりも書くことにおいてはスキルを高める必要がある。
そういう危機感を持っていました。
そうやって色んなものをコネコネしながら泥ダンゴみたいなものをアウトプットしていた。
最初はそんなもん。
ただ、何が良かったって、やめなかったことですね。
というか、やめることができない。
だって他に表現方法が残ってないんだもん!
話すことが苦手。
だったら、もう書くことしかない。
だから、書き続けた。
そうやって、今では書くことが上手くなった!
かどうかは怪しいが。
少なくとも楽しくはなったんですよね。
④コミュ障は「特別な表現力」が開花しやすい?
で、何が言いたいかって。
コミュ障は特別な表現力が開花する可能性があるのではないか?ということ。
会話以外の表現方法を模索する人が多い。
そうすると、思わぬ形で花開く。
もちろんそうなるまでには試行錯誤が必要なわけですが。
それはユニークな表現方法になるのではないでしょうか。
おわりに
ということで、コミュ障は「特別な表現力」が開花しやすい?でした。
コミュ障がコミュ強になるならいい。
それはそれでハッピーエンド。
ただ、コミュ障には別の道もあるのではないか?ということでした。
ぼくも話すのがちょっとでも上手くて好きだったら、書くことがここまで好きになることはなかった。
相手に話が通じなかったからこそ、絶望して、他の手段を見つけることができた。
なので、話すのが苦手だったり嫌いだったりする人は、それに絶望するのではなく、他の表現方法を磨くという道もあることを知ってもらいたい。
というか、もう知っているかな。
本当に人と話したくない人はもうそうやって独自の道を歩き始めているのかもしれない。
そして、そんな道をぼくは肯定したいな、と思いました。


