「読書って意味あるの?」
これは気になるもの。
こういう質問を見るといつも思うのがこれ。
頭が悪いと読書は意味ない。
頭がいいと読書は意味ある。
①頭が悪いと読書は意味ない。
これはまさに最初の頃のぼくですね。
最初の頃の読書ってまったく何も分からなかった。
無駄に長いなあ、と思っていた。
分かるところは分かるけど、なんだか文字を目で追っていくのがかったるい。
何行か読んでは違うことをして。
また何行か読んでは休憩して。
そうやってまったく集中できなかった。
②頭がいい人に読書は意味ある。
その最初の頃に読んでいた本。
それを読み返したタイミングがあったんですが。
「え?面白いじゃん!」
久しぶりに読んだ本。
これが滅法面白い。
なんでこの本を面白いと思わなかったのか。
なんでこの本をバイブルとして崇めなかったのか。
それが不思議なほど。
ただ、それって読書を重ねた結果ですよね。
いろいろな本を読んだことで、知識が増えた。
そうやって知識が増えると、あの知識とこの知識がつながる。
そうやって世界がつながっていく感覚が脳内で起こる。
そうなって初めて読書が楽しいと思えるようになるのではないでしょうか。
③読書は、頭が悪いときは意味がなくて、頭が良くなると意味があるジレンマ。
読書は、
- 頭が悪いと意味ない。
- 頭がいいと意味ある。
これってジレンマですよね。
だって、頭が良くならないと読書が楽しめない。
だけど、頭が良くなるためには本を読まなくてはいけない。
このハードルをまず越えることができるかどうか、が勝負じゃないでしょうか。
このハードルを越えさえすれば読書が意味があるものになって、好きなものになる。
おわりに
ということで、「読書は、頭が悪いときは意味ないジレンマ?」でした。
何事も最初はつまらないもの。
だけど、知識が溜まってくると途端に面白くなる。
面白さが加速度的に増えていく、というものじゃないでしょうか。
読書を始めるときは、なるべくかんたんな本を読むのがいいのではないでしょうか。
ぼくは赤川次郎さんの小説から入りました。
読みやすくて、面白い。


