コミュ障になった理由。
そういえば何がきっかけだったか。
それを忘れてました。
改めてなんでコミュ障になったのかを思い出していたわけですが。
たぶんこれかな?という記憶があった。
敬語をつけるのを忘れて、そのたびに怒られたから。
①ぼくはよく言い間違いをする。
ぼくはよく言い間違いをする。
頭の中で考えながらしゃべってるから、そうなるのかも。
で、言い間違えをするたびにそれを大人に指摘された・怒られた。
その多くが「敬語」を言い間違えていたから。
敬語は語尾につける、いわば尾ひれみたいなもので、それほど重要じゃない。
ぼくの意見のほうが大事なはずなのに、そちらにはノーコメントで敬語ばかり注意される。
若かりしぼくはそのとき「ああ、ぼくの意見よりも、正しい敬語を使うことの方が重要なんだな」と思った。
で、敬語を気を付けることに集中し始めた。
②しゃべらなければ、敬語を怒られない。
さらには、怒られないためにはしゃべりすぎなければいい、と思った。
だから、必要最低限しか話さなくなった。
だって、そっちの方がラク。
黙っていれば怒られない。
②英語はいいよね、敬語がないから。
英語はいい。
敬語がない。
ぼくもアメリカとかに生まれてたらコミュ障にならなかったのかな。
③日本人は敬語を間違えると怒られて、外国人はカタコトの日本語で賞賛される。
まあ、そういうものだから仕方ないけど。
言葉が多様なのが日本語の良いところでもあるけど。
それが足を引っ張ってたら、プラマイ0どころかマイナス。
おわりに
ということで、「ぼくがコミュ障になった理由は日本の独特の風習」でした。
正しい敬語を使えるように教育することも重要だけど。
自分の意見を言うことを指導した方がいいんじゃないかな。


