「圧倒的なアウトプット力が欲しい!」
ただ、どうやったら手に入るのか?
それが分からない。
でも、よくよくすごいアウトプットをする人たちの話を聞いているとすごい。
ものすごい教養がある。
すごすぎて、もはやそれはアウトプット量と相関関係があるのではないか?と結び付けたくなるほど。
というか、もはやそうじゃないと説明がつかない。
ということで、アウトプット量がものすごい人たちはこれができているのではないか?という仮説。
めちゃくちゃ大量のインプットをしている??
①行動量は情報量に比例する
「行動量は情報量に比例する」
これは堀江貴文さん著「時間革命」からの言葉。
なるほど?
この言葉を最初に聞いたときは懐疑的だった。
いや、情報量がいくらあっても、行動に移せるわけじゃない。
それはアナタだからできるんでしょ?みたいなことを思っていた。
②行動できないのは、情報が足りていないから?
そうやって才能のせいにして自分は行動できないものだと思っていた。
ただ、今思うに、自分のインプット量が少なかったから行動に移せなかったのではないか?と思うようになった。
自分ではインプットの量は足りていると思っていた。
だけど、そのときは行動力を発揮することがなかった。
今思えば、自分がいかに小さく狭いところにいたのか。
それを自分では多くの情報を手に入れていた、と勘違いしていた。
実際には自分のインプット量はまったく足りていなかったのです。
③情報が足りていたら、何かをしたくなるのが人間?
情報を十分に得ている場合、人間というものは「自分にもできるんじゃないか?」と考えて行動するものなのかもしれない。
「自分でも何かできるかももしれない」
そう思って何かをせずにいられなくなる。
逆に、まだ行動しようという気持ちが湧かないのであれば、それは情報量が足りていないからかもしれない?
④どうやったら行動量を増やすインプットができる?
これはぼくも陥っていた罠なのですが。
インターネットというのは使い方次第で世界が広くもなるけど、狭くもなる。
ぼくの場合は狭くなっていた、ということに気づいたんです。
これでは世界は広がらない。
それだったら本を読むほうが万倍マシかも。
適当に選んだ多ジャンルのものを100冊。
おわりに
ということで、「○○が足りていれば、圧倒的なアウトプット力を発揮しているはず?」でした。
インプット。
これが十分に足りていれば勝手に走り出したくなるのが人間なのではないか?ということでした。
オタクみたいな偏った情報を入れまくるというよりは、多ジャンルの情報を多角的に取り入れまくる。
そうしたら、あれとあれがつながって、みたいに脳内で化学反応が起こって、何かを試したくなるみたいなことでした。
「自分はもうかなり情報を持っている!」
そうやって思っている人ほどちょっと危険かもしれませんね。
自分は大したことない、という謙虚な姿勢も大事なのではないか、と思ったということでした。


