コミュ障が言葉の持つ力でつかむ黄金人生(ゴールデンライフ)

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完璧主義者が陥る「100%の呪い」2つの弊害。

 

「完璧主義」という言葉がある。

完璧主義にどんな印象を持っていますか?

 

完璧主義というのは、完璧とは程遠いものだと思う。

完璧主義というのは、実現できもしない「完璧」という状態を目指すあまり行動することができなくなってしまているというイメージを持っていますね。

それが良いことだとは思えない。

 

完璧主義は「100%の呪い」みたいなものに罹っているものだと思いました。

 

①完璧主義者は、100%の情報が出揃うまで決断できない。

 

人生において決断のときは来る。

 

だけど、決断できずにズルズルと後回しにしてしまう場合が多い。

「まだ情報が出揃ってない、100%の情報が出揃うまで先送りにしよう」みたいな感じに。

 

ただ、それだといつまで経っても決断できない。

というか、人は100%の情報が出揃う状態で決断することは無い。

それに気づかずに決断を先送りにして、いちばん大事な時間を浪費してしまている。

 

ジェフ・ベゾスだかが言っていたのは「我々は情報が50%の時点で決断する」と言っていたはず。

それはそれですごいとも思いますが。

 

②完璧主義者は、100%のクオリティになるまでアウトプットが終わらない。

 

100%のクオリティになるまでアウトプットが完了しない。

つまり、いつまで経っても1つのものに執着して手放すことができずに、次に進むことができない。

そんな状態に陥ってしまうのも完璧主義者の特徴かもしれませんね。

 

でも、100%のクオリティってどういうことか?

 

  • 自分が100%満足したもの?
  • それとも他人が100%満足したもの?

 

でも、そんなものは滅多にないし、それだといつまで経っても先に進めない。

だから、それよりも60点70点主義でどんどん先に進んでいくべきなのでしょうね。

 

ぼくの小学校の図画工作の先生が言っていたのは、「遅くて完成度が高い」よりも「速くて完成度が低い」ほうが偉い、みたいなこと。

これは小学生ながらに理解するのは難しかった。

「なんで?クオリティが高いほうがいいんじゃないの?」

そう疑問に思ったからこそ、なぜかこの記憶が強烈に今でも脳内に焼き付いていると思うのですが。

このときのぼくもそういう意味では完璧主義の脳みそを持っていたのかもしれないですね。

 

おわりに

 

ということで、完璧主義者が陥る「100%の呪い」2つの弊害。ということでした。

 

  • 完璧主義者は、100%の情報が出揃うまで決断できない。
  • 完璧主義者は、100%のクオリティになるまでアウトプットが完了しない。

 

これの対義語は、行き当たりばったりだとか、塞翁が馬だったりするのかな。

まあ、どちらも極端な気がしますが。

自分がどちらのタイプに近いのか?

それを自己分析したうえで、バランスを取るためにはどうするべきかを考えるのが良いのかもしれないな、と思いました。

 

 

 

 

 

 

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