堀江貴文さん著「考えたら負け」からの名言。
「修行」は意味がない。「研究」しよう
修行と研究は「価値」が違う。
修行と研究。
この2つは違う。
修行自体は自分で満足するだけで終わってしまう可能性がある。
それは意味がない。
誰にも価値を提供していない。
修行して満足するくらいだったら、価値のある研究をしりょうという提言。
つまり、
「修行」は自分にとっての価値で、
「研究」は他人の価値を理解すること。
ここには大きな差がある。
この2つを混同してしまうのは危険ということかもしれない。
働く=価値を提供しないと意味がない。
働くとは他人に価値を提供すること。
自分がいくら価値を感じていても、それが他人のためにならなければ意味がない。
修行とは「自分は頑張っているだ!」という満足感を感じられるけど、それは自分の満足感という価値にしかならない。
修行せずに、研究して、価値を提供する。
修行には満足感を感じてしまう厄介なもの。
であれば、満足感を感じにくい研究をする。
他人を理解することで、直接的に価値を提供できるようにする。
そうすれば、本当の意味で他人に価値を提供することができる。
そうやって研究した結果他人に価値を提供することで、最終的には自分も満足感を感じることができるのかも。
だから、修行して満足せずに、まずは他者理解からの価値提供、この順番で考えるのがいいのかもしれませんね。
