「何かを極めたい!」
そうやって思う。
だってなんかカッコイイじゃん。
モテそうじゃん。
マジメな話、何かを極めたらそれを起点にしていろいろ良いことが起きそう。
ところでじゃあ、何かを極めるってどういう感覚なんだろうか?
「生きる力がわいてくる名言・座右の銘1500」から柔道金メダリスト・格闘家の吉田秀彦さんの言葉。
なにかを極めるとき、人は無傷ではいられない。
なるほど。
たしかに、何かを極めるときはラクな道を探しがち。
ただ、そんな道は無いのかも。
「何かを極める」は、積み上げるものじゃない。
何かを極めるって、今ある状態にプラスアルファで積み上げることができるものだと思ってた。
シンプルな足し算なのだと思ってた。
だけど、もうその思考の時点で根本的に間違っていたのかもね。
「何かを極める」は、何かを犠牲にする。
何かを極めるとは、何かを犠牲にすることかもしれない。
- 時間。
- 家族。
- 趣味。
- 睡眠。
- 人と違うことをするリスク。
そうやっていろいろなものを犠牲にするリスクがある。
そのリスクをとってまで、何かを極めたいという気持ちがあるかどうか。
「知らぬ間に極めていた」が最強?
リスクをリスクと知らずに取り続けた。
その結果、何かを極めていた、という状態がいちばんいい?
たとえば、何だろう。
趣味とかかな?
変わった趣味とかじゃなくても、毎日やっていたらそれなりのものになる。
偉人の誰かが言ってた。
「成功者は突拍子もないことができるんじゃない、シンプルなことをとても上手にできることだ」と。
変にニッチに行くことはない。
シンプルなことでいい。
それを非凡な数こなすと、それだけで何かを極めることができるのかもしれない。
おわりに
なにかを極めるとき、人は無傷ではいられない。
「生きる力がわいてくる名言・座右の銘1500」から柔道金メダリスト・格闘家の吉田秀彦さんの言葉でした。
犠牲にする。
周りからいろいろ言われる。
そうやって傷を受ける。
だけど、そうまでしてでも何かを極めることを目指す。
そういう生き方を選択できるのはカッコイイですね。


