「コミュニケーションとは、情報の交換でしかない」
ぼくはずっとこう思っていた。
会話ってそういうことなんじゃないの?
ただ情報を交換しているだけ。
だから、会話は必要最低限でいい。
それ以上のおしゃべりは時間の無駄じゃないか?と思っていた。
ただ、こうやって思っているからずっとコミュ障なのかもしれない。
加藤俊徳さん著「人生が劇的に変わる脳の使い方」からの言葉。
学校脳の人は、コミュニケーションは情報の交換 社会脳の人は、コミュニケーションは記憶の共有
ぼくのコミュニケーション能力は学校レベルらしい。
ショック。
①「コミュニケーション=情報の共有」は表層でしかない。
コミュニケーションが情報の共有だと思っていた。
でも情報の共有は、会話においてはほんの表層でしかないのかもしれない。
会話って、はたから見たら情報の交換が行われているだけ。
会話を文書で記録したら、そう思っても仕方ない。
ただ、見た目には情報の交換しか行っていないように思われても、実際にはその他にいろいろなやり取りが行われているのかも。
たとえば、
- 感情の交換。
- 時間の共有。
- 信頼の構築。
②コミュニケーションは、記憶の共有・時間の共有。
実際には、コミュニケーションは記憶や時間の共有らしい。
表層では情報の交換をしている。
しかし、深層では違うことが行われている。
- 同じ時間を共有して信頼感を構築したり。
- 感情の交換をして共感を共有したり。
なるほど。
たしかに、情報の交換以上のものが行われている。
それは分かった。
でも、そういうものに価値を感じないと、会話を楽しむのって難しい。
③コミュ障は、人と話しているときにいちばん孤独を感じている説。
なんでコミュ障はコミュ障なのか。
それは人と話が合わないからかも。
なんで人と話が合わないのか。
それは、
- 人に興味がない。
- 1人の方が作業が進みやすい。
- 人と価値観が合わない。
こういう人にとっては会話は苦痛ですよね。
人と話しても話が合わない。
価値観が合わない。
普通は1人でいる方が孤独を感じるものだと思う。
ただ、コミュ障は人と話しているときの方が孤独感を感じるのかも。
コミュ障は、一人でいる方が他人とコミュニケーションを取れているのかもしれない。
- 本とのコミュニケーション。
- インターネットでのテキストのコミュニケーション。
- 文章を書くことで自分とのコミュニケーション。
実はコミュ障はちゃんとコミュニケーションを取れている説。
ただ、それが普通の人とちょっと違って歪に見えるだけで。
おわりに
学校脳の人は、コミュニケーションは情報の交換 社会脳の人は、コミュニケーションは記憶の共有
加藤俊徳さん著「人生が劇的に変わる脳の使い方」からの言葉でした。
なるほど、正しいコミュニケーションの定義が分かった。
ただ、それが分かったところで自分にできるかはまた別の話。
自分には向いていないな。
というか、会話力を磨くくらいなら、違うことに時間を使った方がいいな。
そうやって自分にはできない・向いていないと自覚できたこと。
それがいちばんの収穫でした。


