「生きがいを見つけたい」
そう思う。
- 生きがいさえあれば強く生きていける。
- 生きがいさえあれば人生に意味を持てる。
だけど、そう簡単には見つからないのが現実。
なんで見つからないのか?
それはただ単に自分がまだそのものと出逢ってない。
それが原因だと思ってた。
ただ、実はそれだけじゃないのかも?
今のままだと一生見つからないのかも?
そう思ったのはこの言葉を見たときからでした。
石川達三さん著「青春の蹉跌」からの言葉。
若い人たちはよく、「生き甲斐がない」と言います。しかしそれは当たり前です。孤立した人には生き甲斐はない。生き甲斐とは人間関係です。
うっ、これは頭が痛い言葉。
特に人付き合いが苦手な自分からすると。
①生き甲斐とは人間関係?
「生き甲斐」とは「人間関係」。
まさかこの2つの単語がつながるとは思いませんでした。
生き甲斐とは、どちらかというとモノやコトに注目するものだと思ってた、
自分が熱中できるもの。
そういうものだと思ってたけど、少し違うのかも。
「熱中できるもの」と「生き甲斐」は違う。
生き甲斐は「誰かに貢献したい」。
もしかしたらそういう誰かを見つけるからこそ発揮されるものなのかもしれない。
②生き甲斐は、自分一人じゃ見つからないのか?
「生き甲斐は人間関係」
つまりそれは一人だと生き甲斐は見つけられないということ?
ぼくは今まで一人でも生き甲斐は見つかると思ってた。
1人でも何かしら人に貢献できると思ってた。
特にインターネットが発達した現代では、直接人と出逢わなくても生きていけると思ってた。
③いや、人間関係は直接会わなくても成立するよね?愛とか。
「生き甲斐は人間関係」
これが事実だとして。
でも、別に直接会わなくても生き甲斐は得られるはず。
人は直接出会わなくても、誰かを愛することができる。
人は愛されるよりも愛している方が幸せ。
そういう言葉もあるくらい。
だから、直接誰かに愛を伝えなくてもいい。
愛を叫び続けることはできる。
特にそれがインターネット時代だからこそできる。
④自分ではない誰かのために貢献する。
生き甲斐とは人間関係。
つまり、自分ではない誰かのために貢献する。
そんな気持ちが大事になるのかな?
たしかにいくら自分のために生きていても、循環の輪は小さいまま。
だけど、誰かのためにやる。
いろいろな人を巻き込んで貢献する。
そうすることによって、それが生きがいとなり、自分の存在意義を示すことができるのかもしれない。
そして、生きていることを実感できるのかもしれませんね。
おわりに
若い人たちはよく、「生き甲斐がない」と言います。しかしそれは当たり前です。孤立した人には生き甲斐はない。生き甲斐とは人間関係です。
石川達三さん著「青春の蹉跌」からの言葉でした。
生き甲斐=人間関係。
こうやって考えたことはなかったので新鮮でした。
そして、できればなるべく早く生き甲斐というものを見つけたいなあ、と思いました。


