嫌な記憶ほど忘れられない。
そういう経験ってありますよね。
忘れたいのに忘れられない。
「忘れよう」
そう思えば思うほど逆に忘れられなくなる。
そうやって困っているときにこういうアドバイスをする人がいますよね。
「気にするな」
「無視しろ」
そりゃできたらそうしたい。
ただ、それができないから困ってる。
個人的にはこれはアドバイスとしては最悪だと思いますね。
じゃあ、どうするか?
「気にしない」「無視する」よりも有効な考え方。
気にしない、無視する。
そういうことは無理。
ぼくもそうやって努力していたけど、できなかった。
そんなとき、ある本を読んでいてある言葉に出会った。
「忘れるとは抽象化することだ。」
このようなニュアンスの言葉が書いてあった。
この言葉を聞いたときに、なるほど!と思った。
「忘れる=抽象化できている」「忘れられない=抽象化できていない」
忘れるとは抽象化すること。
たしかに、何か変な人がいたとして、「でもそういう人ってたくさんいるよね」と思えると忘れることができる。
それはその人の行動を抽象化できていてるということ。
逆に、忘れられない。
それはサンプルがその人しかいないから。
具体的な人間の具体的な行動。
そうやって具体的なイベントのまま放っておくと、いつまでもそれは自分の中で抽象化することができない。
できごとを抽象化する方法は2つある?
抽象化する方法は大きく2つあるかもしれない。
①サンプルを増やす
トラウマになっているのと同じような出来事に遭遇する。
違う人の同じような行動。
それを何回も遭遇していると「ああ、そういうものなんだな」と思えて抽象化できる、かも?
②同じような体験をした人の話を聞く。
でも、そうやって自分にとって嫌な体験を何度も遭遇するのは気が引ける。
その場合は、同じような体験をした人の話を聞く。
そうするとまた「ああ、他にも自分と同じように思っている人がいる、自分は一人じゃない」
そうやって思うことができる。
そして、そのイベントを抽象化できる。
おわりに
ということで、嫌な記憶を忘れたかったら抽象化すべき、ということでした。
「忘れるとは、抽象化すること」
たしかこの言葉が書いてあったのは森博嗣さんの講義シリーズのどれかだったはず。
忘れちゃった。
それはつまり抽象化しちゃったということか。
逆に忘れたくない嬉しい記憶は、具体的な留めておく。
具体的なものを覚えておく。
そのときの服、天気、色、そういう細かいことを頭の中で反芻する。
そうすれば忘れることなく覚えておける?
