本としおりとスローライフ

麻倉葉のようにさっさとシャーマンキングになってラクに生きる、そんな生き方に共感する。スローライフを目指します。

「自然に学ぶ不完全の美」

 

「自然は不完全なもの」と最初に言っていたのを聞いたのは荒俣宏さんだったか。

 

 

その言葉は青天の霹靂。

衝撃でした。

 

 

そこから自分の仮説で、「自然はそんな自身の不完全さを補う目的で、人間を作ったのかなあ?」と思ったものです。

 

 

そして今回、三枝理枝子さん著「人間力のある人はなぜ陰徳を積むのか」を読んでいたときのこと。

「自然に学ぶ不完全の美」という項目が目に入りました。

 

 

かいつまんで説明すると、

満月などの「完成された外見の美しさ」。

その他に、

「これから咲くな」と期待する「期待美」。

「ああ、きれいだったな」と追懐する「追懐美」。

そう思うことによって、あなたの心が完成されるとのこと。

 

 

 

不完全なものを完成される。

それも人間の役割なのかもしれない。

 

 

足りないものを「想像して」「創造する」。

それこそが、自然の分身として生まれた人間の使命、やるべきことなのかもしれません。

 

 

 

 

「キスだけした人のほうが甘酸っぱい思い出として刻まれている」

 

たしかに。

その感じは分かる気がする。

 

 

実際に最後まで行った人との思い出。

それよりも、一定のところまで行く前に別れてしまった人の方が印象に残っている。

 

 

「その人とあのまま一緒だったら、どうなっていたかなあ?」

そういう妄想の余地を残している感じも、思い出の一部として刻まれているからかもしれない。

 

 

その感じめっちゃ分かるなあ。

自分にはそんな経験はまったく無いけど。

 

 

 

 

 

「自分は間違っている」と思うことができると強い。

 

僕は、自分のことを「正しい」と思っている人が正しいとは思えない。

 

 

彼らは、自分の正しさを他人に押し付けて他人を変えようとする。

しかし、それは同時に、自分がこれ以上変化しないことを意味している。

 

 

一方で、常に自分を否定できる人は、いつでも変化(成長)できる可能性を宿している。

「自分を否定できる」は、「ネガティブ」だと言うことができるかもしれない。

 

 

僕はネガティブです。

自分を肯定するために必死。

そのために自分なりの論理を組み上げる。

しかし、その論理に自信が持てないから、仕方なくまた考える。

その繰り返しです。

 

 

中国の格言にこのような言葉があるらしいです。

 

自己満足に陥らぬ者は成長する。

自分の考えが正しいという確信を持てぬ者の方が、多くのことを学ぶ。

 

 

 

「ネガティブ」という言葉に良い印象は持ちにくいです。

しかし、実は「成長」という観点から見ると必須の価値観なのかもしれません。

 

 

「ネガティブ」は価値観の一種。

そう思っているのですがどうでしょう?

「自分大好き!」な人たちがこのネガティブな価値観を持てるとは到底思えない。

 

 

だからこそ、ネガティブな人たちも無理にポジティブに思う必要もない。

というか、できないでしょう。

ポジティブ人間がネガティブに考えられないように、ネガティブ人間がポジティブに考えることはできないし、ならなくてもいい。

 

 

「自分はネガティブ思考」というのをマイナスに考えるのではなく、「自分は自己否定をしながら大きく成長するポテンシャルを持っている」と思うこと。

それがネガティブ思考の人がするべき思考法でしょう。

 

 

余談ですが、ゲッターズ飯田さんの名言集にも「ネガティブ」について書いてありましたね。

 

 

 

ネガティブな自分を否定するのではなく、受け入れて付き合っていく。

それがネガティブなりの生存戦略なのでしょう。

 

 

ネガティブな人はなぜだか勝手に味方意識が芽生えます。

厄介な価値観を持った者同士かもしれませんが、頑張っていきましょう。

 

 

 

 

 

どうやったら自分の文章を読んで行動してもらえるんだ?

 

ということで今回の悩みはガチです。

どうやったら自分の文章を読んでもらえるのか。

そして、あわよくば行動してもらえるのか。

 

 

今回の名言。

「論理で納得させ、感情で動かす」

 

 

なるほどね。

 

 

つまり、この言葉を信じるとすれば、

論理と感情の2つを同時に満たさなくてはいけない。

 

 

僕が得意なのはたぶん論理。

何が起こっているかの説明ができる。

自分の心が動いた理由を説明することができる。

 

 

でも、自分の文章を読み返すと、めっちゃつまらないんですよね。

その自覚がある、困ったことに。

もっとバカっぽい文章の方がいいんだろうな。

 

 

一方で、感情的な文章というのも見かける。

ただ、ひどく言葉が幼稚なんですよね。

言葉が足りてない。

抽象的すぎて何も共感できない。

その場合はもっと具体的だったり論理的な思考を取り入れるべきなのでしょう。

 

 

そういう感じで、

論理と感情。

その2つを同時に取り入れてバランスを保つ。

そうすることで初めて、人が共感してくれるような文章になる。

 

 

「論理で納得させ、感情で動かす」

この言葉は「文章の鬼100則」で書かれていたこと。

あとは例えば「読者はランキングが好き」なこととか。

たしかに、ランキングは自分も好きだから分かりますね。

 

文章の鬼100則

文章の鬼100則

Amazon

 

 

 

 

はあ、、

今までずっと書いてきたことば無駄になった気分ですね。

 

 

まあ、今回は自分の文章の問題点に気づけただけでも良しとしますか。

そして、これからはもうちょっと感情を入れながらの文章を心がけることにします。

 

 

 

 

「評価」も「クリエイティブ」な活動に分類していいらしいぞ!

 

「評価というクリエイティブ」

この言葉は「座右のニーチェ」という 齋藤孝さんの著作からの一節。

 

 

クリエイティブと聞いて何を連想するか。

 

  • 自分の中で思い描いたものをアウトプットしたもの。
  • 何かと何かを結び付けてアウトプットしたもの。

 

 

そういう創作活動をクリエイティブなものだと思っていた。

この言葉に出会う前では。

 

 

「評価することはクリエイティブ」

 

 

誰かのアウトプットしたものだったり作品だったり。

それらを評価することもクリエイティブの活動の一部だと。

そんな発想はなかった。

 

 

たしかに、と思うこともある。

youtubeのリアクションチャンネルだったり、岡田斗司夫さんだったり。

彼らも他人の作品に反応することでクリエイティブな活動につなげている。

 

 

それがここで言っていることと同じことか分からないけど。

他人の作品の感想を書くこと。

どこを切り取って、自分なりに編集して、再びアウトプットする。

それが創作活動として認められるのは、何やら嬉しい気持ちにさせてくれるね。

 

 

 

 

 

「頭のいい人ではなく、すぐやる人にチャンスは一極集中する」by千田琢哉

 

【「すぐやる」力で差をつけろ】という千田琢哉さんの著作での言葉。

 

 

「頭がいい人」っていうのは頭の中でずっと考えている人だと思ってた。

ただ、そうじゃなくて、自分の思い描いたことをすぐに形にすることなのかもしれない。

 

 

「頭がいい」。

その定義もあいまいですね。

 

 

  • 知識をたくさん持っていることなのか。
  • 2つの違う事象を繋ぎ合わせることができることか。
  • それともここであるみたいに、本当の頭の良さとは行動するために自分を最適化することかもしれない。

 

 

 

 

 

 

というのも、この言葉が心に刺さった理由がありました。

最近読んだ江國香織さんの小説でも同じような言葉出てきたのでビックリ。

 

 

 

 

 

 

やっぱり著名な方たちはたどり着くところが似ているのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

「小さな楽しみを捨て、大きな楽しみを得る」by心が洗われるブッダの言葉

 

「心が洗われるブッダの言葉」という本に載っていた言葉。

 

 

耳が痛いですね。

どうしても一日一日を楽しみながら過ごしていきたい。

その日を最大限愉しみながら生きていきたいと思いがち。

 

 

ただ、それだと自分が本当に欲しいものを手に入れられない。

毎日の小さな楽しみvs自分の本当に生きたい人生。

短期の楽しみvs長期の楽しみ。

 

 

長期の楽しみを得たいと思って入るけど、どうしても直近の楽しみを優先してしまう。

それが人間というもの。

 

 

長期的に考えられる人の方が幸せになれるのかもしれない。

そのためには今日という一日が、長期的に見た場合の通過点に過ぎない、と思えるようになることが重要なのかもしれません。

 

 

 

 

 

自分が持ってるのは「心が洗われるブッダの言葉」(リベラル社)なんですが、同じ内容なのか?