名言でつかみたい黄金人生(ゴールデンライフ)

言葉に救われた。本や書籍から心に沁みた言葉を紹介します。※当ブログはAmazonアソシエイト・プログラムに参加しています。

願いごとは、他力本願ではなく、決意する場。

 

神社でお願いごとをする。

そのときにどうやっていたか?

 

ぼくの場合は、

「○○がうまくいきますように」

「△△がぼくの理想通りにいきますように」

そんな感じだった。

 

願いごとなんだからそんな感じでいいでしょ、となんとなく思ってた。

 

ただ、どうやら違うのではないか?

そう思ったきっかけとなる言葉があった。

晴山陽一さん著「こころ湧き立つ英語の名言」からの言葉。

 

すべての人は世界を変えたいと思っているが、自分を変えようとは思ってない。レフ・ニコラエヴィチ・トルストイ

 

なるほど。

これはたしかにそうかもしれない、と思いました。

 

世界を変えたいなら、まず自分を変える。

 

「自分の外の世界を変える。」

それが自分の願いごとをする目的。

 

でも、そうやっていつまでも外の世界が変わってくれることを願っていてもダメなのかもしれない。

まずは自分を変える。

自分が変わると世界も変わって見える。

結果、自分が変わったことで、外の世界を変えたことになる。

 

自分を変える=自分が成長する。

 

自分を変える。

そうすると世界が変わる。

 

では、自分を変えるとは具体的にどういうことか?

それは自分が成長することかも。

 

人間はいくらでも成長することができる。

成長が終わるなんてことはない。

死ぬまで成長することができる。

 

そうやって自己成長すること。

そうすることで外の世界の見え方も変わってくる。

 

願いごとは、他力本願する場ではなく、決意の場。

 

つまり、願いごとというのは、いわゆる神頼みではない。

「神様助けてー」と他力本願する場ではない。

 

願いごとを叶える。

そうやって自分の外の世界を変えるためにはまずは自分が変わらなくてはいけない。

それが必要条件だとしたら、願いごとというのは決意。

自分の願いが叶うような人物になる。

そんな自己成長を願う場なのかもしれない。

 

おわりに

 

ということで、願いごとに関する名言でした。

すべての人は世界を変えたいと思っているが、自分を変えようとは思ってない。レフ・ニコラエヴィチ・トルストイ

願いごとを他力本願か決意と捉えるかでその願いごとが叶うかどうかに大きく影響しそうですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

90%以上の人は願いとごとを他力本願だと思ってる。

ぼくもそう思ってたわけですし。

そうじゃなくて願いごととは自己成長を表明する場だと気づいた人から、願いごとを叶えていけるのかもしれませんね。

 

 

 

松下幸之助流「夢の見つけ方」

 

「夢を持つ」

 

これができてる人は人生の指針がある。

どの方向にすすんでいくべきかがはっきりしている。

 

ぼくは夢を持ったことがありません。

 

なので、夢を持っている人に弱冠のコンプレックスを持っていた。

自分の人生に不満を持っていたのは、夢を持っているか持っていないか。

そう思っていた節がある。

 

そんな夢コンプレックスを持っていたぼくですが。

松下幸之助さんの本を読んでいて夢を書いている箇所に出会って、なるほどと思わされました。

江口克彦さん著「成功の法則 松下幸之助はなぜ成功したのか」からの言葉。

 

夢を見つけるためには、自分を中心に考えるのではなく、社会を中心に考える、世の中を中心に考える、世界を中心に考える、場合によっては宇宙を中心に考える。そうすると夢が生まれてくるし、自分のやりたいことが生まれてくる。あるいは自分がやらなければならないと感じることが、自然と生まれてくる。

 

この言葉を見たときには鳥肌が立ちました。

 

自分のことばかり考えてた。

 

夢を持つ。

夢がない。

 

その2つは自分を中心に考えていることだった。

それに囚われていたから夢が持てなかったのかも。

それに、仮に夢を持ったとしてもそれは自分中心に考えている夢でしかない。

 

他人を中心に考えたときに持てる夢は「健全な夢」。

 

自分を中心に考えていたらダメ。

ダメというわけではないかもしれないけど、それは独りよがりな夢で成就しない可能性がある。

だけど、他人のことを考えて持てた夢は、他人からも応援されやすいということが想像しやすい。

 

自分を客観的に見る必要がある。

 

そういう意味では自分を客観的に見ることができる。

そういう人が夢を持てるのかもしれない。

 

自分はどういう人間で、どういうことに向いているか。

他人や社会やニュースなどの自分の外の世界に触れることが、自分が夢を持てることにつながっていくのかもしれませんね。

 

おわりに

 

ということで、松下幸之助さん流の夢の見つけた方でした。

 

自分中心ではなく、他人に中心に考える。

そうすることで、自分にとっても他人にとってもその夢は意義があるものである可能性は高くなる気がしますね。

 

 

 

 

 

 

 

今まで自分が夢を持てなかったのは、自分のことばかり考えていたからかも。

もっと自分の外へ外へと目を向けていきたいな、と思いました。

 

 

 

 

人生は「引き算」が大事、って誰も教えてくれない

 

「人生は足し算が大事!」

教育とか社会でそう教えられる。

 

お金とかキャリアとかやりたいこととか。

積み重ねが大事だと教わってきた覚えがある。

 

そういう足し算をしていく考え方が悪いわけじゃない。

足し算が大事だということもあると思う。

 

ただ、何もかもがすべて足し算だけじゃない。

足し算をするという考え方に囚われすぎると上手くいかないかもしれない。

一度足し算で成功体験を得てしまうと、その考え方を捨てるのが難しいかもしれない。

 

「引き算」という考え方も大事

 

人生は足し算じゃない。

引き算も大事。

そんな考え方に気づかされた言葉に出会いました。

 

フリードリヒ・ニーチェ著「ニーチェの言葉」からの言葉。

 

脱皮して生きていく

 

たしかに。

「脱皮」ってまさに引き算的な考え方ですね。

 

著書の中にあったのは、新しい考え方を手に入れて成長するためには、古い考え方を捨てなくてはいけない。

それを脱皮とたとえている。

 

自転車の補助輪を外すのも引き算?

 

同じように引き算的な考え方が分かるようなたとえはないか?

そこで思いついたのが補助輪。

 

最初はみんな補助輪をつけていた。

だけど、親などから強制的に外されるように言われる。

最初はイヤだった。

最初は転んだ。

だけど、何度も練習して徐々に慣れていくと補助輪なしでも自転車を運転できるようになる。

そして、一度補助輪がとれると、もう二度とと補助輪付きの自転車に戻る人はいない。

 

 

おわりに

 

ということで、人生は引き算的な考え方ができることも重要なのではないか?ということでした。

 

人生は足し算だけじゃない。

引き算も重要。

それを脱皮になぞらえてたとえた上手い説明の仕方だと思いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

人生は引き算も大事。

重要なのは「も」というところかも。

足し算も引き算も重要。

そういう柔軟な考え方をできるように意識したいなあ、と思いました。

 

 

 

 

美人じゃない人も、美人と渡り合う方法?

 

「人は見た目が10割!」

なんて考えている人も多そう。

 

一般論としてそう言う人がいたり。

「わたしは見た目が良くないから」と自分を卑下して言い訳に使って言う人がいると思う。

 

だけど、そうやって見た目が良くないからといって諦める必要はないかも。

 

そんなことをこの言葉を見たときに思いました。

田辺聖子さん著「上機嫌な言葉366日」からの言葉。

 

「一目見てわかる美人」は、長く見ていると飽きるけれども、おしゃべりの楽しい美人はつき合えばつき合うほど、マスマス美人にみえるというものだ。

 

これは納得。

 

ここでは美人同士を比較しているわけですが。

そうである必要はないのかも。

 

ここに2人の人がいて、片方は美人、片方は普通だとして。

普通の人だとしてもおしゃべりができる人。

その人は、美人と渡り合うことができるのかもしれない。

 

「おしゃべりがうまい=コミュ強」とは?

 

でも、それっておしゃべりがうまくないといけないのでは?と思う。

ぼくもそう思ってた。

ぼくはコミュ障。

他人とコミュニケーションを取るのが苦手。

 

ただ、最近はこう思うんです。

実は世の中のほとんどの人はコミュ障なのではないか?

 

そもそもコミュ強とは何か?

それは相手のニーズを探ることができる人とのこと。

相手が何を欲しているかを探り当てること。

それを会話を通じてできることを言うのだと思う。

 

でも、世の中の多くのはそれができていない。

みんな自分の欲望を叫んでいるだけ。

それはコミュ強とはいえない。

むしろコミュ障。

自分で自分のことをコミュ強だと思っているコミュ障。

 

コミュ強な普通の人が最強。

 

つまり、目指すべきはコミュ強な普通の人。

普通の人であっても、相手のニーズを探り当てることができる人が真のコミュ強。

何も武器を持っていない人は、コミュニケーションを学んで実践して失敗してそれでもあきらめずに極めていくことが良いかもしれないと思いました。

 

 

 

 

 

コミュ強。

そう聞くと言葉を魔法のように駆使するみたいなイメージがある。

だけど、コミュ強のいちばんの武器は、相手の話を聞く、その上で話を広げる、そしてできれば最終的に相手を楽しい感情に巻き込むことなのかもしれない。

 

 

 

 

「時間があったらやる!」→結局やらない。

 

「時間があったらやる」

「今できないのは時間がないから」

 

そうやって思ってた。

でも、実際は違うんですよね。

 

時間があったらあったで、怠ける。

その時間を目いっぱいに引き伸ばして使う。

つまり、結局はいつもと同じくらいのことしかできない。

時間があってもなくても行動できた内容が変わらない。

 

そんなバカな!

 

そう思っていたのは自分だけじゃなかった。

ということをこの本を読んでいて思った。

佐々木典士さん著「ぼくたちは習慣で、できている。」からの言葉。

 

「時間があったらできる」と人はよく空想するものだが、「時間がありすぎるとできない」こともある。

 

まさにこの言葉どおりのことが起きている。

なんでなのか。

 

いちばん忙しい人がいちばん多く時間を持っている。

 

よく言われてるのがこの言葉ですね。

「いちばん忙しい人がいちばん多くの時間を持つ」

 

忙しいとは、つまり行動しまくっている。

そうやってデフォルトで行動しまくっている人は、さまざまな行動についてのハードルが低い。

だから、じゃんじゃん行動しまくることができる。

結果、いちばん有効に時間を使っている。

的な?

 

時間があると、怠ける。

 

結局はこれだと思う。

「人は時間がありすぎると怠ける」

 

ぼくも無職のときは時間があって幸せだったように思ってた。

ただ、だからといって時間を有効には使えていなかった。

むしろ忙しく動くようになってからの方が、全体の行動量は上がったように思える。

 

時間割を決めて、それに沿って行動する。

 

自由時間がある。

それはそれで心に余裕ができることだから良いことのように思える。

 

ただ、いつまでもそのままだとダメになってしまう。

だから、そんな自由に対して適度な制限を設ける。

そうすることで、自分の時間や行動を有効に使えるようになるのかもしれない。

 

それを世間では規律だったり習慣と呼ぶのかも。

 

おわりに

 

時間があるからといって、できるようになるわけじゃない。

むしろ、時間がない方が隙間時間でいろいろ行動できて幸せかもしれない。

今時間がないことを嘆くのではなく、今のその状況を最善と考えて自分を行動できるように促していく、という考え方も常に持っておきたいなと思いました。

 

 

 

 

 

 

 

自分の時間割を組む。

小学生のときみたいでちょっと楽しいかも。

 

 

「女のかしこさの度合い」の定義が面白い

 

「本当の賢さ」って何だろうか?

 

今までだったら「知識がある=賢さ」だった気がする。

たくさんモノを知っている人が賢い。

雑学とかを知ってる人がすごかった。

 

ただ、今はちょっと違うのかも。

 

情報化社会で情報がカンタンに手に入るようになった。

誰でも知識を得ることができる時代になった。

 

こういう時代になっときの賢さって何だろうか?

 

こんな疑問が頭をよぎったわけですが。

その答えに近い言葉を見つけた気がした。

田辺聖子さん著「上機嫌な言葉366」からの言葉。

 

私は、この世の中でどれほどの楽しみをみつけ得るかということが、女のかしこさの度合だと、この頃つくづく思うようになっている。

 

たしかにね。

 

いくら知識があってもそれが何にもつながらなかったら意味がない。

知識は何かしら役になってこそ意味があるもの。

であれば、自分の人生を豊かにすることができる人が賢い人なのかも。

 

というか、楽しみを見つけることが賢さだとすると、そもそも知識それほど必要ないのかもしれない。

むしろ邪魔。

知識をため込んでいくプラス(+)よりも、もしかしたら最低限の知識で生きていくマイナス(-)の方が、今の時代の賢さなのかもしれませんね。

 

男女関係なくない?

 

この言葉では女性限定で使われているけど。

別にこれは男子でも同じことが言えると思う。

むしろ男性の方が「賢さ=知識」だと思っていそうだから、早々に「賢さ=楽しみを見つけること」というふうに考え方をシフトさせていった方が、早く幸せをつかむことができるのではないでしょうか。

 

 

おわりに

 

「賢さとは自分の楽しみを見つけること。」

これは素敵な言葉。

さっそく実践していきたいですね。

 

 

 

 

 

 

 

賢さって、他人から「あなたは賢いですね!」と言われたい。

そういう欲を満たすことだと思っていた節もあった。

でも、そうじゃない。

他人に依存しない自分一人で完結する「自分の好きなものを見つける」ことこそ真の賢さのように思えますね。

 

座右の銘を2つ以上持つと逆効果

 

「座右の銘を持っていると人生の指針になる」

 

それはそうだと思う。

座右の銘を持っているのと持っていないのとでは、大きな違い。

 

とはいえ、座右の銘は1つがベスト?

 

ただ、だからといっていくつも座右の銘を持つことが良いこととは限らないと思う。

 

座右の銘を持った。

ただ、もっと欲しい。

1つより2つ。

2つより3つ持っていた方がいいのではないか。

そうやって考えてもおかしくない。

というか、それはまさにぼく自身が考えていたことだった。

 

座右の銘を2つ以上持つと、迷う?

 

ぼくは座右の銘を5つくらい持っていた。

それで機能する人もいるのかもしれない。

ただ、ぼくの場合は、迷ってしまった。

 

座右の銘とは、いざというときに人生の指針になるべき言葉。

心の中の迷いを消して、1つの方向へ進んでいけるためのもの。

 

ただ、座右の銘を5つ持っているということは、5つの方向へ進もうとするのと同じこと。

そうすると、歩みが遅くなったり、下手したら5つの方向へ進もうとするあまりその場からまったく動けなくなってしまうかもしれない。

 

「多目的」は「無目的」

 

1つのものに2つ以上の役割がある。

それはいっけん良いことのように思える。

効率の良いことのように思える。

 

ただ、思い返してみるとそうでもないのかも。

 

学校にあった多目的室。

あれはいろいろなことに使っていいよという部屋だったと思うけど。

結局はいろいろな人の荷物置きに使われてしまった。

 

あとはいろいろな競技に使えるスタジアム。

いろいろな競技に使える分、思い入れが薄くなる。

そうすると責任感も芽生えづらくなる。

 

おわりに

 

座右の銘を持つことは良いこと。

ただ、できるなら1つに絞った方がいい。

それがぼくが何年も成長が止まっていた原因だったかも。

 

いろいろな言葉を知っているのは賢い証拠かも。

だけど、これと言った1つの言葉に絞る。

それも賢さの一つかもしれませんね。

 

 

 

 

 

 

 

座右の銘は0でも、2つ以上でもダメ。

1つに決めること。

これが個人的にたどりついた答えですね。